武蔵国足立郡笹目領松本新田の歴史
埼玉県立浦和図書館に収蔵されている「大日本地誌大系M新編武蔵風土記稿第八巻 平成八年雄山閣発行」に収録されている「新編武蔵風土記稿巻之百五十五 足立郡之二十一」の最終稿に「松本新田」の記述があります。 この足立郡之二十一は、足立郡の最終稿でもあります。 「新編武蔵風土記稿」は文化七年(1810)から十一年かけて編纂され、その後も改訂が行われ天保元年(1830)に幕府の献上された約二十年の歳月をかけて大成した武蔵一国の地誌ですが、これを読みやすく書き換えて紹介します。 それによれば、「松本新田はいつ頃開墾されたのか年代は分からないが、正保※1(の國図)には見あたらない、元禄時代に改訂された國図には「松本村」と載っている」とあります。 ※1 正保(1644-1648)・元禄(1688-1704) 地名の由来について、「地元の人の言い伝えによると、もとは「鶴巻新田」と唱えられていたが、元禄の時代に江戸浅草の「松本小右衛門」という人が故あってこの土地を預かったことから改められたものと云う」とあります。 松本新田は、「民戸(民家)が三十七戸、東は曲本村に隣り、西は沼影村、南は内谷村、北は田島村に堺している」とありますが、西の沼影村は誤りと思われます。 沼影村の項で「沼影村の四境は東は白幡村、南は曲本村、西は田島村、北は鹿手袋村である」とあります。 村の大きさについては、「東西四丁許(ばかり)、南北九丁餘(あまり)」とあります。 一丁(町)=六尺三寸を一間とする六十間、メートル条約加入後約109.09mから、東西約450m、南北約1kmと言うことになり、ほぼ現在の松本一丁目から四丁目の区域となります。 「昔から御料所(幕府の直轄領)であり、今も替わらない。 元禄十年に前村(曲本村)と同じく検地があった。」とあります。 なお、徳川幕府以前は、応永五年(1398)の鶴岡八幡宮の「鶴岡事書日記」に後述の佐々目郷白髭免田の年貢徴収のことが書かれており、佐々目郷の他の地区と同じく鎌倉の鶴岡八幡宮の神領地だったようです。 高札場に関しての記載は空白になっています。 小字(小名)については、「田畑、荒井、坂下」とありますが、どのあたりを指すのか聞いてみたいと思います。 堤防については、「村の西の方に堤があり荒川の水溢(洪水)に備えている」と説明されています。 神社としては、「白髭明神社、村の鎮守、村民の持」とあり現在は白髭神社と言っていますが、白髭明神と呼ばれていたのでしょうか。 埼玉県日高市の「高麗神社」発行のしおりには、武蔵の国の白髭明神は、この高麗神社の分社であると書かれているそうです。※2 また、白髭神社の実体は新羅明神とも言われています。※3 以下に参考になるHPを載せておきます。 ※2古代であそぼ ※3古代史倶楽部 寺院については、「眞乗寺、新義眞言宗、内谷村一乗院の支配下の寺で寶松山と號し、大日を本尊としている。寺を開いた宥元は、延享三年(1746)二十一日示寂(高僧などが亡くなる)した。地蔵堂がある」 とあります。 このことから、この寺は生類哀れみの令を出した徳川綱吉の元禄時代後半から正徳の治の新井白石や享保の改革で徳川吉宗が幕府政治の改革に躍起になっていた時代、約三百年から二百五十年前の開山ということでしょうか。 ここに眞乗寺の写真予定 参考文献 大日本地誌大系M「新編武蔵風土記稿」・・雄山閣発行 浦和歴史文化叢書I「佐々目郷」・・浦和市郷土文化会発行 |
慶長 | けいちょう | 1596 | 〜 | 1614 |
元和 | げんな | 1615 | 〜 | 1623 |
寛永 | かんえい | 1624 | 〜 | 1643 |
正保 | しょうほう | 1644 | 〜 | 1647 |
慶安 | けいあん | 1648 | 〜 | 1651 |
承応 | じょうおう | 1652 | 〜 | 1654 |
明暦 | めいれき | 1655 | 〜 | 1657 |
万治 | まんじ | 1658 | 〜 | 1660 |
寛文 | かんぶん | 1661 | 〜 | 1672 |
延宝 | えんぽう | 1673 | 〜 | 1680 |
天和 | てんな | 1681 | 〜 | 1683 |
貞享 | じょうきょう | 1684 | 〜 | 1687 |
元禄 | げんろく | 1688 | 〜 | 1703 |
宝永 | ほうえい | 1704 | 〜 | 1710 |
正徳 | しょうとく | 1711 | 〜 | 1715 |
享保 | きょうほ | 1716 | 〜 | 1735 |
元文 | げんぶん | 1736 | 〜 | 1740 |
寛保 | かんぽ | 1741 | 〜 | 1743 |
延享 | えんきょう | 1744 | 〜 | 1747 |
寛延 | かんえん | 1748 | 〜 | 1750 |
宝暦 | ほうれき | 1751 | 〜 | 1763 |
明和 | めいわ | 1764 | 〜 | 1771 |
安永 | あんえい | 1772 | 〜 | 1780 |
天明 | てんめい | 1781 | 〜 | 1788 |
寛政 | かんせい | 1789 | 〜 | 1800 |
享和 | きょうわ | 1801 | 〜 | 1803 |
文化 | ぶんか | 1804 | 〜 | 1817 |
文政 | ぶんせい | 1818 | 〜 | 1829 |
天保 | てんぽう | 1830 | 〜 | 1843 |
弘化 | こうか | 1844 | 〜 | 1847 |
嘉永 | かえい | 1848 | 〜 | 1853 |
安政 | あんせい | 1854 | 〜 | 1859 |
万延 | まんじゅ | 1860 | ||
文久 | ぶんきゅう | 1861 | 〜 | 1863 |
元治 | げんじ | 1864 | ||
慶応 | けいおう | 1865 | 〜 | 1867 |
次回予告 古地図の見られる松本新田 |